きょうは「怪物をささやく」(原題:A Monster Calls)を紹介します。原作もいいですし、映画もいいです。途中から母を喪失する物語だなと想像はつくのですが、それでも心が締めつけられるような気持ちになります。映画は特に音楽もよく、とてもおすすめです(2023.9.1)
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まず、あらすじを紹介します。原作(創元推理文庫)の扉から引用します。
怪物は真夜中過ぎにやってきた。十二時七分。墓地の真ん中にそびえるイチイの大木。その木の怪物がコナーの部屋の窓からのぞきこんでいた。わたしはお前に三つの物語を話して聞かせる。わたしが語り終えたらーーおまえが四つめの物語を話すのだ。以前から闘病中だった母の病気の悪化、気が合わない祖母が家に来ることになり苛立つコナー。学校では母の病気のせいでいじめにあい、孤立している……。そんなコナーに怪物は何をもたらすのか。
コナーは”子供でも、大人でもない”12歳の少年。夜ごと悪夢にうなされていて、崖から落ちそうになる母を必死に助けようとしても、伸ばした手から母が滑り落ちていってしまう……。
ある夜、大木の怪物が現れ、コナーにこう語りかける。
わたしはめったに歩かない。歩くのは、生と死がかかってるときだけだ。わたしの話をしかと聞くがいい。
これから何が起きるか、教えてやるぞ、コナー・オマリー。
来て、三つの物語を話して聞かせる。以前、わたしが歩いたときの物語を三つ、お前に聞かせる。
わたしが三つの物語を語り終えたら……今度はおまえが第四の物語をわたしに話す。おまえは真実を語るのだ。
ただの真実ではないぞ。おまえの真実だ。
おまえの真実はーーお前がひた隠しにしている真実は、コナー・オマリー、おまえがもっともおそれているもののはずだ。
怪物が言っているのは、夜ごと見る悪夢のことだ。決して誰にも知られたくない。それでも怪物は十二時七分になると部屋に現れ、「物語」を語り出す。
第一の物語は、魔女の王妃の物語(映画も原作も、水彩画の筆致で描かれていて非常にきれいです)
怪物が語る物語はふつうのおとぎ話とは異なり、「人間のほとんどは、善と悪のあいだのどこかに位置している」という結末だった。
病状が悪化していく母
一方、現実の世界は、病身の母親が「薬が効かない、新しい治療薬を試す、だから心配しないで」と話すが、実際は病気は悪くなるばかり。学校でのいじめに耐えたあと、帰宅してみれば離れたところに住む祖母が訪れていて、母と言い争っている。再入院の話だ。別れたあと再婚して子供ももうけた元夫のもとへコナーをやるか、祖母のもとへやるか。結局、祖母のもとへ行かざるを得ない。
望むのは母の快復だけなのに、そんなささやかな願いも受け入れられず、望まないことばかりが増えていく。その間も母の病状は悪化していき、扉から覗き見した母の背中は驚くほどやせ衰えていて、「死」が迫っていることを予感させる。
暗鬱とした現実の合間に挿入される怪物が語る物語は、水彩画の筆致で描かれ、寓意に満ちた内容。そして徐々にクライマックスーーコナーが語らざるを得なくなる真実の物語に向かっていく……。
原案者も47歳でがんで死去
原作の筆者はパトリック・ネスで、映画の脚本もネスが担当しています。原作の挿絵はジム・ケイ、監督はJ.A.バヨナ、音楽はフェルナンド・ベラスケス。ただし、この物語にはシヴォーン・ダウドという原案者がいます。ダウドが47歳の若さで乳がんで死去したため、ダウドの構想メモを引き継ぐ形でネスが書き上げました。ダウドもネスも、優秀な児童文学に贈られるカーネギー賞の受賞歴のある作家です。
原作も脚本も同じ作者なので、どちらがよいかを比べるのは無意味と思いますが、映画にはいくつか原作にない部分があります。その挿入された部分が非常に印象的です。
祖母役はS・ウィーバー
ひとつは、シガニー・ウィーバー演じる祖母が部屋でビデオを見ているシーンです。ビデオはまだ母が元気で若かった頃、幼児の頃のコナーと一緒に絵を描いているところ。描いているのはイチイの木の怪物。このシーンに流れる曲はとてもいいです(思い出のかけら。原題:Montage)
母が遺してくれた絵本
もうひとつは、すべての結末を迎えたあと、祖母の家に戻って案内される新しいコナーの部屋ーーかつて母が少女の頃まで過ごした部屋ーーで、コナーが机に置いてあった一冊の絵本をみつけるシーンです。少女の頃の母が水彩で描いた絵本をひらくと、そこには……。
結末に思い切り泣いたのに、絵本でもう一度泣かせるなんて。
なお、エンドロールが終わった後に流れる主題歌は、キーンが歌う「Tear Up This Town」です。
(しみずのぼる)
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