きょうは伊坂幸太郎氏の「アイネクライネナハトムジーク」(幻冬舎文庫)を紹介します。漫画にもなっていますし、映画にもなっていますし、音楽にもなっているので、2回にわけて紹介します。きょうは基となる小説と音楽です(2023.8.24)
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資格不要で稼ぐなら「クラウドワークス」手の甲に「シャンプー」の文字
手元にあるのは単行本で、帯にはこう書いてあります。
読めば特別な魔法にかかる。
「出会いがない」と嘆くあなたの心を
爽やかに解き放つ、魔法の小説集。
ーー吉田大助(書評家)
人生ってそんなに悪くないよ、と思えてくる。
ささやかで愛おしい奇跡が味わえる6編。
ーー瀧井朝世(ライター)
さすが文筆業に携わる方の表現はうまいですね。この連作短編集の持ち味を的確に表現しています。
まず、1話目の「アイネクライネ」を紹介しましょう。
街頭でアンケート調査に立たされた佐藤が主人公。きっかけは、妻子が家を出て行った先輩がサーバーを蹴飛ばし、あおりでコーヒーをハードディスクにこぼしてデータを破壊したのが佐藤だったから。
何人にも避けられて、ようやく「いいですよ」と言ってくれたひとりの女性。
バインダーを持った彼女の手を見ていると、その親指を、手首のほうへ下がったあたりの肌に、「シャンプー」とマジックで書いてあるのが目に入り、特段、何かの感慨があったわけでもないが、思わず「シャンプー」と僕は音読してしまう。
「あ」彼女は自分の手首を見て、「今日、安いんですよ。忘れないように」と小さい声で説明した。恥ずかしがるわけでもなく、淡々としていて、その様子が少し可笑しかった。
出会いその1です。
財布を拾ったのが最初
サーバーを破壊した会社の先輩がようやく仕事に復帰。迷惑かけたことを詫びる先輩に佐藤が訊ねる。
「あの、藤間さんって、奥さんとどうやって知り合ったんですか」と質問した。
藤間さんはパソコンから目を離し、僕の顔をまじまじと眺めた。訝るように眉根をぎゅっと寄せたかと思うと、すぐ後で、初恋を暴露された少年みたいに顔を赤らめた。「何だよそれは」
「最近、興味があるんですよ。みんな、どうやって彼女とか奥さんと出会ったのか」
「何だよそれは」
藤間さんはまた、パソコンに向き直り、キーを叩きはじめた。そして、ずいぶん時間が経ってから、「絶対、笑うよ」と言った。十歳近く年の離れている藤間さんが、自分の同級生のように急に感じられた。「聞いたら、笑うよ」
「笑いませんよ」
「街でさ、歩いていたら、横断歩道で、向こうから来たのがかみさんだったんだ」
「え?」
「で、かみさんが財布を落としてさ、俺が拾ってあげたのが、最初だ」
僕はぽかんと口を開け、藤間さんを見つめてしまう。
「驚いたか」
「驚きますよ。そんなことあるんですか」
「陳腐だろ」と藤間さんは耳まで赤くし、顔を隠すように背を丸めた。
出会いその2です。
ベリーベリーストロング
さて、ここまでで「あれ? この話知ってる」と思った方がいたら、きっと斉藤和義ファンにちがいありません。なぜなら、この2つのエピソードは、斉藤和義氏の「ベリーベリーストロング~アイネクライネ」の歌詞そのものなのですから。
「アイネクライネ…」のあとがきから引用します。
「アイネクライネ」は、ミュージシャン、斉藤和義さんから、「恋愛をテーマにしたアルバムを作るので、『出会い』にあたる曲の歌詞を書いてくれないか」と依頼をもらったのがはじまりです。「作詞はできないので小説を書くことならば」というお返事をし、そうしてできあがったのがこの短編なのです…
最初に小説があって、あの歌詞と曲が生まれたというわけですね。本当に感謝しかありません。斉藤和義さんの歌は名曲ぞろいですが、わたしがいちばん好きなのが「ベリーベリーストロング」です。
シャンプーの彼女と佐藤の再会、藤間さんの出会いの余話は、「アイネクライネ」で確かめてください。
ちなみに、藤間さんは第2話以降もちょくちょく出てきて、特に第3話「ドクメンタ」は藤間さんが主人公です。
どなたの娘さんかご存じですか
続いて、第4話「ルックスライク」。これは少々トリッキーなストーリーなので、ネタバレしないように気をつけて紹介します。
ファミレスの女性店員が高齢男性の客にからまれている場面。怒り出すと止まらなくなるタイプの男性で、謝れば謝るほど「その場しのぎだ」などと難癖をつける始末。そこにひとりの若い男性が近づいてきた。
「あの」と男が横から声をかけてきた。笹塚朱美とほぼ同年代に見える男で、別のテーブルに一人で座り、本を読んでいたはずだ。
喋り方や、その心配そうな顔つきから、見るに見かねて仲裁に入ってきてくれたのだ、と彼女は気づくが、それはそれで面倒だ、とも感じた。わあわあ苦情を言う者は、興奮状態にあるがあまり、「関係ねえやつは引っ込んでろ」と余計に熱くなる場合もあるからだ。
「何だよ、お兄ちゃん」と頑固そうな、高齢の男は、若い兵士を𠮟る気満々の上官といった雰囲気で、「けしからん!」と今にも言い出しそうだ。
「あ、ご迷惑をおかけして」と彼女は頭を下げるが、そこで若者は、「いえ、すみません、僕もすぐに逃げますけれど」とおどおどしながら言う。高齢の男に眼差しを向け、「あの、こちらの方がどなたの娘さんかご存じの上で、そういう風に言ってらっしゃるんですか?」と続けた。
「はあ? 何だそれは」高齢の男は鼻息を荒くし、明らかに怒りを増幅させたが、それでも訝るような顔つきになる。
「いえ、あの人の娘さんにそんな風に強く言うなんて、命知らずだな、と思いまして」若い男はあくまでも怯えた様子で、すでにへっぴり腰になり、「ええと、僕もこういう場面見られて、誤解されたら怖いですし、すぐ帰りますけど」と言い、「誰の娘かも知らずに、怒っているんだとしたら、あなたがちょっと心配になっちゃいまして。誰が見ているか分かりませんし」と周囲を見渡し、そそくさと立ち去った。
あの言い方からすると、かなりの危険な人物なのか? そう疑念がわいたとたん、勢いをなくした高齢男性。のちに親しくなった若い男と朱美のあいだで、「この子がどなたの娘さんかご存じですか」作戦と呼ばれるようになる。
出会いその3です。 「どなたの娘さんか…」作戦が再び発動されるふたりの再会シーンは、本書を手に取ってご確認ください。
登場人物との”再会”がうれしい
1話と4話を紹介したのは、三浦春馬さんの遺作となった映画「アイネクライネナハトムジーク」でも、骨格を成すエピソードだからです。
収められている6つの短編は、それぞれ独立した読み物にもかかわらず、登場人物が複雑に交錯します。
あるサイトには登場人物の相関関係をあらわしたチャート図まで載っていました。読者にとっては、登場人物に”再会”できるのでうれしい限りです。
さまざまな「出会い」と小さな奇跡にあふれた物語ーー。
ぜひ実際に手を取ってご確認ください。次回は「アイネクライネ…」の漫画と映画について書きます。
(しみずのぼる)
【追記】伊坂幸太郎氏の「アイネクライネナハトムジーク」の第2話「ライトヘビー」について、別記事(音楽との出逢いかた:伊坂幸太郎/斉藤和義)で紹介しました(2023.9.20)