きょうご紹介するのはウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」(原題:Far From Home)です。文章を書いていて思うのは、実体のないものを表現するのって、本当に難しい、ということです。たとえば、におい。この「ふるさと遠く」という短編(すごく短いので、ショートショートというほうが正しいでしょう)のキーワードはにおいです(2023.7.4)
砂漠の町に漂う海のにおい
「ふるさと遠く」は、こんな書き出しから始まります。
管理人が、奇蹟をうすうすと意識したきっかけは、そのにおいだった。それだけでも、一つの小さな奇蹟といえた。アリゾナの朝の大気にまじる塩の香、海草と海水のにおい。それに気づいたのは、正面入口の錠をあけ、建物の中にはいったときである。年老いて、自分の五感もあまり信用していない男だったが、内陸も内陸のこんな町でも、これだけはまちがえようはなかった。それは、海のにおいーー深い海、大きな海草の生いしげる、みどりの塩水をたたえたあの海原のにおいだった。
どうです? こういう文章ってうまいですよね。自分の記憶から海の潮のにおいが引き出されて、相手はただの文字なのにそれににおいが香っている、って思いませんか?(ちなみに訳者は、ロバート・F・ヤングの「たんぽぽ娘」を本邦に初めて紹介した伊藤典夫氏です)
このあと、ここがアリゾナの砂漠の町の公共プールであることや、金網越しにプールをのぞいている子どもが片手に茶色の紙袋をもって立っている情景が、さりげなく説明されて、においの正体の場面になります。
管理人は、まっすぐコンクリート敷きの更衣室を横切った。タイルばりの控え室にはいると、足を洗う消毒槽をまたいで、水泳プール周辺のコンクリートのフロアに出た。見まちがえようのないものもある。プールの中にいるのは、たしかに鯨だった。
(略)
鯨はくさかったーー万物の母、海のあのなんともいえぬ古びたにおいを漂わせていた。千古の昔から生命を育みつづけてきた海の、むかつくようなフジツボとつぶつぶの塩のにおい、かつてあった世界と将来あるであろう世界のにおいを芬々とさせていた。鯨は美しかった。
海の潮のにおいに、ここで海の生き物特有のなまぐささが加わって、でも不快な感じじゃなくて、なぜか懐かしい…って雰囲気になりませんか? こういう文章のマジックってすごいな、と感じ入ってしまうのです。
このあと、プールの管理人が《砂漠の町のプールにクジラがいる》という眼前の非条理な情景にただただ立ち尽くし、管理人に気づいたクジラが噴出す一線の水しぶきにようやく自失状態からさめて、町の人たちを呼んでこようとやおら駆け出します。「この人生で二度と出会うことのない奇蹟から、神の創りたもうた最大の生き物から、遠ざかりつつあることも知らずに…」
ここからいよいよ、なぜ《砂漠の町のプールにクジラがいる》のか、その鮮やかな、心にくい答えが明らかになる場面へとつながるのですが、ネタバレになるので引用は差し控えます。
作者のウォルター・テヴィスは、映画「地球に落ちてきた男」と「ハスラー」の原作者として知られていますが、きっと日本で一番読まれている彼の小説は、このページ数にしてわずか6ページの「ふるさと遠く」だろうと思います。
「ファンタジーへの誘い」にも所収
わたしが最初に読んだのは、各務三郎氏編「世界ショートショート傑作選1」(講談社文庫、絶版)でした。その次に、ウォルター・テヴィスそのものの唯一の短編集「ふるさと遠く」(ハヤカワ文庫SF、絶版)。そして、海外SFのアンソロジーとして屈指の「ファンタジーへの誘い」(講談社文庫、絶版)です。
どれも古本でみつけたら即買いをすすめますが、特に最後の「ファンタジーへの誘い」は伊藤典夫氏が編纂者で、超オススメです。
奇蹟の種明かしは、上記3冊の古書を何とか探し出して(図書館にもないかもしれませんが)ご自身で確かめていただければと思います。
「ふるさと遠く」の最後のくだりを引用しましょう。最後の一文にただよう海水とクジラの残り香をご堪能ください。
管理人が、男をふたり連れてもどったときには、鯨はもういなかった。子どもの姿も消えていた。だが、海草のにおいと、はねかえった塩からい海水はまだそこにあり、プールの消毒された水のおもてには、ふるさと遠く運ばれてきた海草が、褐色の吹き流しのようにいくつかあてもなく浮かんでいた。
【追記】トム・ゴドウィン「冷たい方程式」の執筆で、2011年に新版が出版された「冷たい方程式」(ハヤカワ文庫SF)に「ふるさと遠く」が収録されていたことを知りました。本文中では「続きは古本を探して」と書きましたが、続きは「冷たい方程式」でご確認ください(2023.7.14)
(しみずのぼる)